番外編 旧東海道ーMTB(桑名宿~四日市宿)

町屋橋を越えて三重郡朝日町へ入り四日市宿を目指します。
現在の町屋橋は現役の国道1号線になっており大変交通量の多い橋です。
旧街道からの旧町屋橋は現在無くなっており国道へ迂回して川を渡ります。
その旧町屋橋の橋脚の名残が河原の中央付近に残っているらしいのですが
よく分からなかった様な記憶があります。
(2年以上前のことなのであいまいですみません)
それと肝心な現在の町屋橋の画像もありません。
このころの画像はまだ写真の撮り方が今一つなので
(今でも完ぺきじゃないですが)ご了承ください。




町屋橋を越えて旧街道に戻り朝日町に入ってすぐのところで見つけた不思議な物。
画像右手の石垣に2本の溝の彫ってある石柱があります。



この画像は一つ上の画像と向かい合った反対側にある石垣と溝の彫ってある石柱です。
おそらくこの石垣の部分は旧堤防で向かい合った溝の彫ってある石柱の間に木の板を
入れる様に作られているのでしょう。これと同じものが桑名側にもありました。
現在はここより50mほど河原に近いところに立派な現在の堤防があります。






近鉄朝日駅の横を通って南下します。





旧街道沿いには数多くのお寺が点在します。朝日町に入ってしばらく走ると割と大きな
立派なお寺が右手に出てきます。


このお寺瓦や本堂の上部に三つ葉の葵の紋が彫られています。
お寺の案内看板によると、徳川家にゆかりのある桑名藩主の奥方の菩提寺で、当時の
参勤交代の大名もこのお寺の前を通る時は籠から下りて一礼していたと伝えられている
ほどのすごいお寺だそうです。






朝日町の集落を抜け朝明川の堤防手前にある常夜灯、弘化3年(1846年)に作られた
物で現在は街道より西30mの所へ移動しているとのこと。




まっすぐに延びる旧街道。四日市市蒔田付近。

国道1号線の抜け道にあたるため狭い道ですが割と交通量はあります。






旧街道は蒔田の集落を抜けると次は四日市市富田町に入ります。
画像は富田の一里塚跡。

詳しくは下の画像の看板で確認してください。










富田町内の街道沿いにある道路元標。津市まで10里と書かれている。




街道沿いにある常夜燈。「天保十巳亥年」(1839年)に作られた物。




旧街道の雰囲気を残す建物。随所に見られます。




街道沿いに何やら大きな石と小さな石が中途半端に祭られています。

力石といわれるもの。興味のある方は下の画像でご確認を。










富田町を抜け羽津町へ入ります。大きな常夜燈が目を引きます。
この付近も国道1号線の抜け道かつすぐ脇に陸運支局があり自動車の交通量はすごく
多い道です。そんな中に旧街道の常夜燈が残されているのが面白いですね。
この常夜燈が作られた時代のこの付近の風景を見てみたいものです。




東海道「かわらづ」の松。
樹齢200年余りで戦前までは街道沿いに多くの松が植えられていたそうです。
その残りの松だそうです。ちなみに私の職場はここから徒歩1分のところです。
詳細は下記画像で。





かわらづの松の現在地はこの辺りです。




羽津の町を抜け海蔵川の手前にある「三ツ谷 一里塚跡」です。看板によると
本来の一里塚あとは昭和20年代の海蔵川の拡張工事の時に川の中に取りこまれて
しまった為、現在の位置に石碑を建てたとのこと。





海蔵川を渡るといよいよ四日市宿に入ります。

道標には「すぐ江戸 京 いせ道」と刻まれている。
しかし調べるとこの道標はレプリカで本物は個人所有だそうです。
って個人でこんなもの所有出来るのも不思議ですがそれをどこに保管して
いるのかもっと不思議ですね。


この看板に記されているように現在の国道1号線によって旧街道は寸断
されています。


目の前の大きな道路が国道1号線。旧街道は画像真ん中あたりの赤い建物のすぐ脇
へ進んで行っていた様です。





国道1号線を渡ってから振り返った画像。







四日市宿に入り諏訪神社に着きました。




四日市の街並みの真ん中にある割と大きな神社です。




現在位置です。






旧街道は諏訪神社を過ぎると近鉄四日市駅にほど近い諏訪栄町の商店街のアーケード
を抜けて進んでいきます。さすがに四日市市内は戦災でほとんどの建物が焼失している
ためか当時をしのぶ建物などはほとんど見られません。

四日市宿を抜けると次は日永へ入って行きます。




続く



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